日記というより文章修行のつもりで書き始めました。NHKラジオ「昼の憩い」みたいな雰囲気が出せれば、と思います...
...というようなコトを天気予報で言っていたので、お弁当を持って、平和の森公園へ出かけました。とはいえ、ごま塩とおかかのおにぎりを握っただけですが。 レバー,ハツ,砂肝,スタミナ焼き,キンカン、5本買うと1本サービスしてくれるトコで焼き鳥を買いました。ピクニックらしく、リンゴをデザートにつけました。 おともは、梨木香歩さん「沼地のある森を抜けて」でした。
いいですねえ。ピクニック。素敵な生活をエンジョイされていますね。私も見習おうっと。おにぎり、シンプルなものほどおいしいですよね。毎日の日記が楽しみです♪ by tmk (2005-11-14 03:15)
ついでに私が「沼地のある森を抜けて」について書いたメモをはりつけておきます!すみません。でしゃばったまねをして。でも同じ本を読んでいると思ったら!主人公の棲む街が、物語を通してわけのわからないもやもやした「湿気」に覆われている。 物語の随所で主人公はそのもやもやと湿った天候のことを気にかけている。 その密やかに密閉された感じ。堅牢な鉄格子で囲われているわけでもないのに、しかしぴったりと閉じ込められた、その湿った場所のイメージを、例えば「子宮の中」の記憶だとこじつけてみる。さぞかし無理があるかと思ったのに、それは案外しっくりと私の中に落ち着いた。まるで受精卵が着床してやわらかなベッドを見つけたように、すとんと、納得した。ああきっとその記憶を呼び起こすからこの物語はとてもやさしいのだと思った。世界中の人間が共通して抱く記憶。子宮の記憶。 しかし物語は「女性の胎(はら)から生まれるのではない」(350P)人々のものであって、でもだからいっそう生命の根源の場所をくるおしく思い出すような、そんな物語だと思った。 「やっぱり子どもも生まずに朽ちていく体だね。(中略)乳房はまだ形を保っているね。いかにも一度も赤ん坊に死にものぐるいで吸われたことのない乳房だね。腹もまだまだひきしまっている。命を孕んで弾けそうになった覚えのない腹だ」(91P) 「おまえのような不細工な娘は、結婚もできなければ子どもも産めるわけがない。それなのにそうやって体は妊娠の準備をする。って笑ったんだ」(116P) 独身を通してやがて40歳になろうという女性主人公は上に抜き出したような言葉を浴びせられつつも、けろりと現実的で明るく前向きで、立派な職業を持って独立した女性だ。だからいっそうこれらの言葉が彼女に突き刺さるときのダメージが、痛い。 私自身も子どもを産まずにそこそこ高齢にさしかかっている女性であるから、この主人公に感情移入しやすいというのは安易な憶測で、きっと人類共通(雌雄に関わらず)が持っている根源的な一番の畏れが、命はどこからやってきてどこへいってしまうのだろうということだと思うし、だからきっと読者が私のような独身女性ではなくても、この物語への共感は可能だと想像する。 この物語は、前回も述べたとおりに、だからといってこの「いのち」のテーマを煮詰めてどろどろに濃くして表現するという試みは避けている。 一見、SF小説。科学小説。ミステリ小説。そして大衆娯楽小説。的な筆の運びで、様々な登場人物をユーモラスに描く。大衆臭くもなりすぎず、科学の薀蓄を詰め込んでスノッブにもなりすぎず、純文学性だけを追ってシリアスにもなりすぎない。このへんの按配は見事。 梨木さん自身が子どもを生まれた方なのかどうかは全く知らぬ。家族がいるのかどうかもそういう情報を例えばエッセイなどでは漏らしていない方だと思う。 子どもを産んだことのない女性、という「女性」の感情に、特に感情移入するからこの物語に私が深く共感したわけではないとは先ほど断ったが、でも、この子どもを産んだことのない「悲しみ」というものはこの物語の大きなテーマのひとつだと思うので無視するわけにはいかない。そもそも女性が子どもを産む生物的役割を自由に取捨選択できるようになった現代という世の中に、梨木さんは例えば警鐘を発したとか、そういうわけでは決してないと思う。 「女性が子どもを産まないで仕事(またはほかのこと)ばかりしている。 このままじゃ日本はつぶれる。というのも、年金社会が危うくなるからまずい、ならば女性が子どもを産み育てやすいように福祉制度をまず整えねば…」という、一連の発想は、どちらかといえば男性的な発想である。 生命を孕むということに対して、もっと女性は理屈じゃないなにかを感じて暮らしているはずだ。歓びと恐怖が同時に存在する場所。それが子宮なのかもしれなくて。 主人公と一緒に活躍する男性が、男性を捨てたという設定なのもいい。 男性と女性からの視点を公平に取り入れる、という平和な手法はとられていない。 だからといって女性側からだけの偏った思想で塗り固められてもいない。 この物語は「女性の胎から生まれない」人々が登場するのだけれども、「生殖に関してのあらゆる可能性に挑戦」(373P)する、いのちのダイナミズムを描きつつも、結局私たちは「人類」なのだから、最後にはこのお腹に生命を宿すことから逃れられない(それが幸福なことか不幸なことかを決めるのは個人の自由なのだろうか?種として、本能がもう手にしてしまっている「感情」を超えた思いなのでは?)ことを描いてもいる。 そして「このお腹」に生命を宿すのは、女性でもあって男性でもある。 女性が子どもを残せなくて悲しいのだとしたら、男性も半分の同じ量で、また悲しまなくては、種が存続しないと思う。 さて、物語の具体的なあらすじは記さなかったけれど、間違いなく楽しめる冒険活劇の様相も呈していて、全く飽きない一冊だった。 by tmk (2005-11-14 03:18)
>tmkさんこれはスゴイ!このページを見た人に対して見事なブックレビューになってしまいます。こんなふうにスパッと、文章にして記事にしたいものですが、なかなか...(^ ^;)。主人公の棲んでいる街のイメージって、まったく持ってなかったけど、指摘されて「あぁ、そういえばなるほど」という感じでした。偏り過ぎず、謎解きの部分がおもしろくて、「間違いなく楽しめる冒険活劇」というのも同感です。日記を読むあたりから、盛り上がり、島へ渡ってからは「ページをめくる手が止まりません!」という感じでした(^ ^;)。「からくりからくさ」もそうでした... by sakamono (2005-11-14 22:47)
本を読んでいないので、「おとも」の意味がわかりませんでした。記事もコメントも一気に読んでしまいました。美味しそうなピクニックですね。Asahiもおともだったのですね。 by penpen (2005-11-16 21:55)
>penpenさんそうでしたか。そういえばそうですね(^ ^;)。単に本を持って、という意味です...キリン「秋味」の季節が終わってしまったので、Asahiの発泡酒に戻りました... by sakamono (2005-11-16 23:32)
ログインすると自身のブログで本ブログを紹介できます
このブログの更新情報が届きます
いいですねえ。
ピクニック。
素敵な生活をエンジョイされていますね。
私も見習おうっと。
おにぎり、シンプルなものほどおいしいですよね。
毎日の日記が楽しみです♪
by tmk (2005-11-14 03:15)
ついでに私が「沼地のある森を抜けて」について書いたメモをはりつけておきます!すみません。でしゃばったまねをして。でも同じ本を読んでいると思ったら!
主人公の棲む街が、物語を通してわけのわからないもやもやした「湿気」に覆われている。
物語の随所で主人公はそのもやもやと湿った天候のことを気にかけている。
その密やかに密閉された感じ。堅牢な鉄格子で囲われているわけでもないのに、しかしぴったりと閉じ込められた、その湿った場所のイメージを、例えば「子宮の中」の記憶だとこじつけてみる。さぞかし無理があるかと思ったのに、それは案外しっくりと私の中に落ち着いた。まるで受精卵が着床してやわらかなベッドを見つけたように、すとんと、納得した。ああきっとその記憶を呼び起こすからこの物語はとてもやさしいのだと思った。世界中の人間が共通して抱く記憶。子宮の記憶。
しかし物語は「女性の胎(はら)から生まれるのではない」(350P)人々のものであって、でもだからいっそう生命の根源の場所をくるおしく思い出すような、そんな物語だと思った。
「やっぱり子どもも生まずに朽ちていく体だね。(中略)乳房はまだ形を保っているね。いかにも一度も赤ん坊に死にものぐるいで吸われたことのない乳房だね。腹もまだまだひきしまっている。命を孕んで弾けそうになった覚えのない腹だ」(91P)
「おまえのような不細工な娘は、結婚もできなければ子どもも産めるわけがない。それなのにそうやって体は妊娠の準備をする。って笑ったんだ」(116P)
独身を通してやがて40歳になろうという女性主人公は上に抜き出したような言葉を浴びせられつつも、けろりと現実的で明るく前向きで、立派な職業を持って独立した女性だ。だからいっそうこれらの言葉が彼女に突き刺さるときのダメージが、痛い。
私自身も子どもを産まずにそこそこ高齢にさしかかっている女性であるから、この主人公に感情移入しやすいというのは安易な憶測で、きっと人類共通(雌雄に関わらず)が持っている根源的な一番の畏れが、命はどこからやってきてどこへいってしまうのだろうということだと思うし、だからきっと読者が私のような独身女性ではなくても、この物語への共感は可能だと想像する。
この物語は、前回も述べたとおりに、だからといってこの「いのち」のテーマを煮詰めてどろどろに濃くして表現するという試みは避けている。
一見、SF小説。科学小説。ミステリ小説。そして大衆娯楽小説。的な筆の運びで、様々な登場人物をユーモラスに描く。大衆臭くもなりすぎず、科学の薀蓄を詰め込んでスノッブにもなりすぎず、純文学性だけを追ってシリアスにもなりすぎない。このへんの按配は見事。
梨木さん自身が子どもを生まれた方なのかどうかは全く知らぬ。家族がいるのかどうかもそういう情報を例えばエッセイなどでは漏らしていない方だと思う。
子どもを産んだことのない女性、という「女性」の感情に、特に感情移入するからこの物語に私が深く共感したわけではないとは先ほど断ったが、でも、この子どもを産んだことのない「悲しみ」というものはこの物語の大きなテーマのひとつだと思うので無視するわけにはいかない。そもそも女性が子どもを産む生物的役割を自由に取捨選択できるようになった現代という世の中に、梨木さんは例えば警鐘を発したとか、そういうわけでは決してないと思う。
「女性が子どもを産まないで仕事(またはほかのこと)ばかりしている。
このままじゃ日本はつぶれる。というのも、年金社会が危うくなるからまずい、ならば女性が子どもを産み育てやすいように福祉制度をまず整えねば…」という、一連の発想は、どちらかといえば男性的な発想である。
生命を孕むということに対して、もっと女性は理屈じゃないなにかを感じて暮らしているはずだ。歓びと恐怖が同時に存在する場所。それが子宮なのかもしれなくて。
主人公と一緒に活躍する男性が、男性を捨てたという設定なのもいい。
男性と女性からの視点を公平に取り入れる、という平和な手法はとられていない。
だからといって女性側からだけの偏った思想で塗り固められてもいない。
この物語は「女性の胎から生まれない」人々が登場するのだけれども、「生殖に関してのあらゆる可能性に挑戦」(373P)する、いのちのダイナミズムを描きつつも、結局私たちは「人類」なのだから、最後にはこのお腹に生命を宿すことから逃れられない(それが幸福なことか不幸なことかを決めるのは個人の自由なのだろうか?種として、本能がもう手にしてしまっている「感情」を超えた思いなのでは?)ことを描いてもいる。
そして「このお腹」に生命を宿すのは、女性でもあって男性でもある。
女性が子どもを残せなくて悲しいのだとしたら、男性も半分の同じ量で、また悲しまなくては、種が存続しないと思う。
さて、物語の具体的なあらすじは記さなかったけれど、間違いなく楽しめる冒険活劇の様相も呈していて、全く飽きない一冊だった。
by tmk (2005-11-14 03:18)
>tmkさん
これはスゴイ!
このページを見た人に対して見事なブックレビューになってしまいます。こんなふうにスパッと、文章にして記事にしたいものですが、なかなか...(^ ^;)。
主人公の棲んでいる街のイメージって、まったく持ってなかったけど、指摘されて「あぁ、そういえばなるほど」という感じでした。偏り過ぎず、謎解きの部分がおもしろくて、「間違いなく楽しめる冒険活劇」というのも同感です。日記を読むあたりから、盛り上がり、島へ渡ってからは「ページをめくる手が止まりません!」という感じでした(^ ^;)。「からくりからくさ」もそうでした...
by sakamono (2005-11-14 22:47)
本を読んでいないので、「おとも」の意味がわかりませんでした。記事もコメントも一気に読んでしまいました。美味しそうなピクニックですね。Asahiもおともだったのですね。
by penpen (2005-11-16 21:55)
>penpenさん
そうでしたか。そういえばそうですね(^ ^;)。単に本を持って、という意味です...キリン「秋味」の季節が終わってしまったので、Asahiの発泡酒に戻りました...
by sakamono (2005-11-16 23:32)