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『箱庭』 [深大寺恋物語]

 ハナは本当は「華恵」という名前なのだけど、自分の名前を好きではない。持ち重りのする感じがして。呼ぶ時は「ハナ」にして、とつき合い始めた頃に言われた。そして「書く時はカタカナで」と言った。ハナは水辺が好きだった。山間の小さな町で、家の裏が沢と棚田で、水の流れる音が絶えず聞こえる場所で育ったから。「こういうこと言うの、照れるけどね」言いながら教えてくれた。
 ハナは深大寺に住んでいた。それで僕は深大寺が寺の名前ではなく、町の名前だと知った。そう言うと「お寺もあるよ」ハナは真面目な顔で答えた。住んでいる家は、叔母に安く借りていると言っていた。「叔母のために借りてあげてるけど、駅から遠いところがね」不満げに、そう言ってもみせたけど、山間の実家に出戻って一人で暮らしている叔母を、ハナは好きなようだった。狭い庭を菜園にして野菜を育てている様子から、満更でもないように思えた。水辺、と言えなくもない場所でもあることだし。
 その家は、六畳の二間続きの座敷があって、申し訳程度の台所が設えられた、赤いトタン屋根の小さな家だった。狭い庭に立てられた園芸用の支柱に、大きな濃い緑の葉が茂っていて、葉陰にキュウリが見え隠れしていた。収穫した野菜を叔母に送ると、手厳しい批評が返ってくると、ハナはうれしそうに言っていた。見上げるほど、背の高い木立に囲まれたそこは、深大寺の杜の一部なのだった。
「うちにおいでよ」と言われてから、僕は度々ハナの家を訪ねた。たいていは週末に。日曜日の朝は、ハナの家で目を覚ますことが、じきに習いになった。これほど近しく女性とつき合ったのは、三十半ばのこの歳で初めてだった。ハナを間近に感じた時、僕はその存在感に驚いた。小柄で薄い体をしたハナでも、四十数キロの体重があるのだろう。人という曖昧な存在を、四十数キロの重みをもった物として感じた時、その現実の手応えに圧倒されたのだ。こんな物が降ってきたら、と僕は飛び降り自殺に巻き込まれた人が、ひとたまりもないのも当然だ、と考えた。「おもしろいこと言うね、祐平は」ハナは言った。「そういうとこ、好きだよ」
 最初からハナは唐突で、理の勝ったタイプだと自分で言うわりには、とりとめがなかった。「ダメ男と、どうしても別れられない女がうらやましいくらい」と言って、「あ、そうでもないかな」と言い直したりした。「私にも好みのタイプがあるんだよ」ハナは言った。その範疇に僕が入っている、というだけのことだ。祐平だって私じゃなきゃ、ってことはないでしょう。きっとハナは、そうも考えているのだ。理の勝ったハナならば。「人との関わり方、しゃべる間合いやしゃべり方、そういう些細なことに、祐平とは共感できると思ったから。それが大事で、それで十分。しゃべる声のトーンですら、気に障る人がいるよ、私」
「共感」。そんなふうに言葉にされると、つかみどころのなかったハナに対する感情が、調えられていく気持ちになった。自分の感情を言葉にして初めて知る思いだった。言葉にする前は模糊としていた。僕はハナとしゃべっていると楽しい。「祐平は、蕎麦をコーラで食べられる?」

 日曜日の朝に目を覚ました時、ハナがいないことがたまにあった。この周りを散歩しているという。「どこを歩いても水の気配があっていい気持ち」ハナは言った。これも照れながら。自分のこだわりを人に話す時、ハナは照れ隠しに笑った。その照れ笑いを見る度にうれしくなった。こんなことを話すのは君だけ、と言われている気がしたのだ。
 一度、朝の散歩を後から追いかけたことがあった。この界隈にいるのだから、どこかで会えるだろうと思って。その日は梅雨入り前のよく晴れた朝だった。前の晩から降っていた雨が上がって、日差しがこれから蒸し暑くなりそうに感じられた。本堂の、山門の前を左右に伸びる水路に、あふれそうな勢いで水が走っていた。この時間は、居並ぶ蕎麦屋から開店準備の喧噪がするだけで、観光客の姿もなく静かだった。日差しを避けるように雑木林の木陰へ、水路伝いに道を歩いた。木漏れ日がはるか上から降ってきて、水路からひんやりとした空気が立ち上っていた。薄暗い雑木林の底には、背の低い雑多な木や草が生えていて、その合間に小さな白い花が点々と、灯るように咲いていた。よく見ると水が流れていた。あふれた水が行き場をなくして無秩序に流れている、といった様子だ。幾筋もの細い水の流れが、草木の間を下って一つに連なり水路に流れ込んでいた。この辺りは豊富に湧く水が、たて横に切られた水路を巡っていた。ハナの言う「水の気配」を感じられたように思った。何も手を加えなかったら、この一帯は湿地だったのだろうか。
「そうかもしれないね、たぶん」ハナはほとんど深大寺の杜のはずれで、四角く切り出されて、横倒しにしただけのような石に腰かけていた。ハナの見上げる先で二匹の竜が、勢いよく水を吐き続けていた。「不動之瀧」瀧の名が掲げられていた。「自然に手を加えたら、それを維持する手間が要るよね……。あの竜の上のところで、落ち葉を掃除してるおじさんを見たことがあるよ。水路が詰まると竜が水を吐けなくなるから」ハナは言った。「あの竜、ちょっと受け口でしょう。水を吐くというより、飲み過ぎちゃった水を、口からあふれさせてるみたいで。かわいい」

 ハナの家を訪ねる時は、三鷹駅から南へ下るバスに乗った。街中の雑踏を抜けたバスが、妙に広々とした平たい風景の中へ入ると、その先に巨大な濃い緑の塊が現れた。深大寺の杜。あの中にハナの家があるのか、と思うと、ハナが深い森に住む不思議な生き物めいて感じられた。ハナと会っていた時間を後で思い返すと、どこか現実感が希薄だった。そのせいじゃないかと思った。バスに揺られ、次第に近づいてくる緑の塊を眺めていると、非日常に足を踏み入れるような気がしてきた。ハナを間近に感じた時の現実の手応えは、家に帰って一人になった途端、するりと指の間からこぼれ落ちた。ハナが不意にいなくなっても、やっぱりあれは僕の妄想だったのかと、納得してしまいそうだった。不安が入り混じっているのに、悪い気分ではない。ゆらりとした、この気分は何だろう。いつまでも、その気分の中をたゆたっていたい。でも、そういうわけにもいかなかった。現実は、時間が過ぎるし事情も変わる。「叔母が亡くなったの」ある日、ハナが言った。「この家を引き払わないといけなくなりそう」

 ハナは唐突に僕の前からいなくなった。連絡をとる気になればとれるのだから、いなくなったという言い方は適当でないかもしれない。あれこれ考えているうちに時機を逸してしまったのだ。叔母という人が亡くなって、少しばかりハナは悄然としていた。悄然とした気持ちを前面に出すようなハナではないから、僕は何となく落ち着かない心地でいた。ハナには、何か思うところがあるように感じられた。ひと月ほど経って、ハナは一つ小さなため息を吐くと「よし、引っ越す」と宣言した。事を決めた後の、ハナの行動は速かった。元々家具付きで借りていた家だ。手早く荷造りを済ませると、僕には何も知らせずに、引っ越していったのだ。その顛末を僕は、あわあわと眺めているばかりだった。そんな成り行きだったのだ。連絡するのもためらわれた。年相応の世間知を身につけた大人ならば、こうした時、とるべき行動を知っているのだろう。知らないという引け目から、僕は現実を薄めて感受して、子供のようにふるまっていたのだ。だからハナは僕に何も言わなかった。子供に相談しても仕方ないのだから。
 今になってハナに対して抱いていた、つかみどころのない感情が何だったのか、よく分かる。答えを得て初めて疑問の正体を知った思いだ。僕はハナが好きだったのだ。

 ハナの引っ越し先は叔母の家ではないかと、ふと思うことがある。蕎麦をコーラで食べてみようかと思うこともある。ハナに連絡してもよいのではないかと、思わないこともない。今でも、深大寺へはたまに行く。

 赤いトタン屋根の小さな家の玄関には「売家」の看板が下げられている。
                                      (了)

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※第15回深大寺恋物語

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氷雨のち晴れ。 [自然]

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11月23日(土)雨。

数日前から凍えるほどの寒さで、まだ早いだろうとは思ったけれど、灯油を買いに行きました。
前の冬から使っていないかったストーブのほこりを拭いて、灯油を入れて、点検のために点けてみました。温かい...。

1日雨模様でしたが夕方に、いつもの店へ出かけました。寒くても1杯目は生ビール。
厚揚げのそぼろあん。
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メニューに「大根の焼いたの」と書かれてありました。大根を焼く、という調理法は寡聞にして知りません。

焼いた大根に、ベーコンとさらに大根おろしがのせられています。

微妙な歯応えがおもしろかった一品。
燗酒と。
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「とてもとても、いいイカを仕入れられた」
というおすすめの言葉とともに、塩辛を注文しました。

イカはもう長いコト、不漁らしいですね。

お酒は「瀧自慢 はやせ」純米。

11月24日(日)晴れのちくもり。
急に寒くなったので、あわててストーブなんかを引っぱり出しましたが、翌日はずい分と暖かな日でした。前日からの雨も上がって青空と、粗っぽい雲が山の上に見えました。
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道路の水たまりや、スニーカーの濡れ具合からすると、前夜はかなりの雨が降った様子。
家も、かなり軒下まで雨が吹きこんでいました。
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風も強かったらしく、落ち葉が散り散りに。
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江戸時代からあるという、近所の「一里塚の榎」。
3メートル以上ある幹回りは、苔むしています。
山を眺めてみても、まだ紅葉はしっくりこない感のした、晩秋の1日。
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先週のお弁当。
面倒だったので、連日ソーセージと目玉焼き。
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透かしほおずき、BBQ、ムラサキシジミ。 [紀行]

「透かしほおずき」なんていう呼び名で、売られていたりしますが、道端に天然の透かしほおずきを見つけました。自然にできたものなので、薄汚れた感がありますが。
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191123bbq.jpg11月16日(土)晴れ。

雲ひとつない快晴。天気が心配でしたが、とても暖かな日。酒を一所懸命飲んでばかりで、BBQを思わせる写真が、ピンボケのこの1枚しかありませんでした。ビール、ワイン、日本酒と...たくさん食べて、たくさん飲んだ、楽しかった1日。
テーブルにセッティングされた、これから飲まれるお酒の数々。
飛んで来たチョウが、一番搾りにとまりました。
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飛び上がったチョウが地面に下りると、日向ぼっこを始めました。
しばらくじーっと見ていると、ゆるゆると羽を広げました。ムラサキシジミ。
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ビールを太陽にかざして、その色合いに魅入る。

右手がミョウな形をしているのは、人差し指にバッタがとまっているからです。

先週のお弁当。
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今週は新米でした...。

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スズメ、茶畑、イカの塩辛。 [自然]

はさかけにスズナリのスズメを見たばかりですが、この日は、はさかけの近くの雑草にたくさんのスズメたちがいました。はさかけには、まるでとまっていません。どうしたコトだろう? たくさんのスズメが一斉に飛びたつと、ふわっと風が顔に当たりました(これ、大げさに言っているのではないのです)。
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お茶の花って今頃咲くというコトを知りました。今まで気にしたコトがなかったのですが。刈り込まれた茶畑にたくさんのハチやらチョウやらがおりました。ルリタテハ。
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ハチの羽音がずい分と聞こえていて、ハチもたくさん飛んでいました。
この大きさ。スズメバチ? スズメバチって肉食だと思っていたんだけど。
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11月9日(土)晴れ。

ひと頃に比べて、1杯目のビールを空けるスピードが、あきらかに遅くなったように思います。

昼間は暖かかったこの日、薄着のままで出かけたら、たいそう寒かった。それでも1杯目はビールです。

なんとなく冬の到来を思わせる肌寒さに、温かなモツ煮をツマミに。
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塩辛は出来立てで、まだワタ和えふうの浅い漬かり具合でした。私は深漬けの方が好きなのですが、食べてみるとおいしかった。いつもと違った味わいで飲めました。
「奥播磨」純米吟醸と。

この日は終電で、寝過ごしもせず無事に帰宅しました。

そういえば、立冬を過ぎていたんですね...。

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191116obento5.jpgぶなしめじとシイタケをごま油で炒めました。キノコはよく、お弁当のおかずに使うけど、シイタケを食べたのはひさしぶり。

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第3回中野はしご酒。 [酒肴]

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11月3日(日)晴れのち曇り、夜になって雨。

3連休といっても、飲むコトくらいしか楽しみがないのも、どうかと思いますが...中野へ飲みに出ました。中野ではよく飲んでいますが、JR中野駅の南側で飲んだコトはなく、話題のレンガ坂へ足を運んでみました。
居並ぶ小洒落た店に恐れをなして結局入ったのは、しょっぱい居酒屋でした。

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雑居ビルの2階で、カウンターだけの小さなお店。5時開店なのに、5時を少々過ぎた時間にほぼ満席。当たりの店の予感。

お通しは千キャベツ。この千キャベツ、下にマヨネーズがあって、天かすと青のりがかかってて、とてもおいしくてびっくり。
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はしご酒では、1軒の店で飲み過ぎ食べ過ぎは禁物というコトを、過去2回の失敗から学んでいます。ツマミは一品。

このまっ黒なモノが何かというと、肉豆腐。見ため通りの濃い味付けの豆腐と牛ホルモン。これはいいツマミでした。

生ビール1杯、酎ハイ3杯で店を後にします。
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2軒目をどこへ入ろうかと、北側でうろうろしていのですが、店の前に掲げられたメニューに、カニクリームコロッケを発見し、そこにしようと決めました。クリームコロッケは俵型、というイメージを持っていました。平たいクリームコロッケは初めて見たように思います。カニクリームコロッケとわさびのりをツマミに、ホッピーセットで2杯。
この後は、当然いつもの店へ行って、いつものように飲み、いつものように電車を乗り過ごしたりして、帰宅するワケですが、そのヘンは割愛というコトで...。


枯れ草の中に点々と、目立つオレンジ色のモノが見えたけど、近年の老眼もあって何だかよく分かりません...カラスウリでした。
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梅の枝にもカラスウリ。
小さい秋見つけた、という気分になりました...。
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先週のお弁当。
玉子焼きはジャガイモ入りです。
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大根、スズメ、ネコ。 [自然]

10月26日(土)晴れのちくもり。
ひさしぶりに晴れ上がった、気持ちのよい秋晴れの日。
このところ、はさかけの写真ばかりを上げていたので、もうひとつ。
スズメがたくさん群がっておりました。
忙しない動きと鳴き声に「ごちそうに大興奮している」様子に見受けられました。
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ネコがのんびりと日向ぼっこ。手前のネコはこちらを警戒しているようでしたが、奥のネコは一心に毛づくろいをしていました。
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このお店で気に入っている「和風小鉢三種」。

モヤシとぶた肉の辛子じょうゆ、きんぴら、キュウリとワカメの酢のもの。
本来定食なのですが、いいツマミになります。

モヤシと豚肉の、辛子がピリッときいたところが好みです。
この秋結構サンマを食べていて、当然いっしょに大根を買うわけですが、大根の方があまってしまいます。豚小間と煮つけたり、スープにしたり。
コンビーフと大根をスープにしたのですが、これうまかったなぁ。コンビーフからダシが出るみたい。(大根を消費するメニューを尋ねたら、教えていただいた簡単メニューです)
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先週のお弁当。
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またベーコンを買ってしまった...。
2日続けて、モヤシ炒めとカレーです。

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